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ロシアが生んだ奇跡の歌声! 我等が高音王子『VITAS』の魅力を日本にも、そして世界にも★


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“世界に響き渡る奇跡の歌声!”

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VITAS(ヴィタス)とは

この人です!(すごい単刀直入…

Lucia Di Lammermoor


そして2008年1月9日に『ザ・ベストハウス123』で取り上げられ
日本のTVで初めて放送された、今日本で一番話題絶頂の動画がコチラです!

Dedication

じょじょに高い音域に上がり始めます。



Vitasについて


ヴィタス(Wikiで呼び名を改める提案があったので対応)

PVの撮影の合間にボディーガードのアンドレイと。

ロシア名:Витас
(使われているフォントによって「Bumac」と表記される事がありますがキリル文字の筆記体なので「ブマック」じゃありません)

英名:Vitas

漢字圏名:維塔斯(発音:ウィタス)

本名:Виталий Владасович Грачев
(ビタリー・ブラダソビッチ・グラチェフ)

生年月日:1981年2月19日(公表)


ロシアの歌手、作曲家、俳優、ファッションデザイナー。
ラトビアのダウガフピルス生まれ。(youtubeコメントより抜粋)
モスクワ在住。
彼の音楽はとてもユニークで、奇矯なテクノから、クラシックオペラなどあらゆるスタイルの音楽を作曲している。
(日本ではしばしば「ロシア歌謡」と表現される。)

彼はロシアのテレビにもたびたび現れ、将来世界中で才能が認められることが期待されている。
日本、韓国、香港の音楽界で契約を結ぶことを計画中。


2005年末、ビタスのミュージックビデオ『Opera#2』はインターネット上でアジアの人々に頻繁に転送された。
アジアのマーケットでVitasは有名になり、注目される存在となった。

それがコチラ。

あちこち衝撃的です。



経歴について


■音楽家としての成功■
最初にロシアのメディアに現れたのは2000年12月、『Opera #2』の舞台だった。
Vitasのソプラニスタ(男声の最高音域)はロシア国民を驚かせた。


クレムリン宮殿にて

2002-2003年
■名誉ある位置に上る■

2002年3月29日Vitasはクレムリン宮殿の舞台で、満席の中ソロコンサートを行った。
彼はクレムリン宮殿の上演で最年少の記録を持つ。


『In Memory of Caruso(カルソの記念)』の作曲家ルーチョ・ダッラから、この有名な歌をコンサート『San Remo in Moscow(モスクワのサンレモ)』で一緒に演じるよう招待された。
Vitasの神秘的な声は観客とルーチョ・ダッラを圧倒した。
結果ルーチョ・ダッラはVitasに、ローマでモダンオペラ『トスカ』の演出を手がけるように依頼した。

2003年11月、"RUSSIA"のコンサートホールでVitasの二度目のソロコンサート
『The Songs of My Mother』が行われた。
二つのアルバム『The Songs of My Mother』と『Mama』がこのコンサートのために発売された。
アルバム『The Songs of My Mother』の中の歌はロシアのポップ音楽の金星となる。
アルバム『Mama』はすべて新曲で構成されていた。

2003年3月以降、Vitasはロシア、オーストラリア、アメリカ、カナダ、イスラエル、ドイツ、カザフスタン、リトアニア、ラトビア、エストニア、グルジア、タジキスタン、ウクライナとベラルーシで264回ものソロコンサートを開いた。

ソロコンサート『The Song Of My Mother』にて


2004-2006年
■イメージと音楽の発展■
2004年10月8日、アルバム『A Kiss As Long As Eternity』が発売されると、ロシアで半年もしないうちに20万枚が売れるという快挙を成し遂げた。
これまでにVitasのCDが売れた数は100万枚を突破した。

2005年8月、VitasのプロデューサーSergey=Pudovkin(セルゲイ・プドフキン)は、
台湾のレコード会社アヴァント・ガーデン・レコード(Avant Garden Records)からVitasのアルバムを2005年6月に発売する計画を立てた。
しかし、現在まだアヴァント・ガーデン・レコードからのVitasのアルバムは発売されていない。
台湾では現在までに宏藝術工作室(KHAM)から訪台記念CD+DVD、
ユニバーサルミュージック台湾(Universal Music Taiwan)から『Return home』の台湾版CD+DVDがそれぞれリリースされている。

2004年~2005年、Vitasはロシアで一番人気の高いツアー・アーティストになった。
『The Songs of My Mother』はベスト・ミュージカル・イベントと評価された。

2004年~2006年の間、プドヴキン・プロダクション本部は『The Songs of My Mother』コンサートをロシア、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ドイツ、カザフスタン、イスラエルとバルティク合衆国で開く事にした。
2004年の1年間で、Vitasは250ものコンサートを開いた。

2006年6月、VitasはCCTV中央電視台(北京の中央テレビ局)から「中国のロシアの年」大イベントに参加を招待された。
Vitasは2曲、『Star』と『Opera #2』を「中国のロシアの年」にささげた。

北京にて


2007年-
Vitasのプレミア『Return home(故郷に帰る)』は2007年3月にクレムリン宮殿で行われ、20曲以上の新曲が歌われた。
『Crane's Crying』、『Shores of Russia』、『I Ask All Saints』、『The Little Prince』、『I Repeat Your Name』などの沢山の新曲はCDに収録される以前からインターネット上でファンのお気に入りになった。
これらの新曲以外にもゲストを招いてのデュエット曲などがコンサートDVDに収録されている。

アメリカ初のVitasアルバム

2007年10月、米国のレコード会社ジェミニ・サン・レコード(Gemini Sun Records)と契約を結び、2008年1月29日に全米リリースを計画している。

日本国内のファンの日本進出への期待も高まっている。




トリビア

■歌以外にも■
2002年3月29日、クレムリン大宮殿で行われたソロコンサートは最高の結果を見せた。
2002年9月29日、彼は服のデザイン『Autumn Dreams』もクレムリン大宮殿のステージで発表した。

ファッションショーにて


以上Vitas - Wikipediaより引用

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